はぐるまであるということ
人は、社会はある意味 歯車です。
例えば、仕事の上での歯車
この、仕事はお前に任した!
なーんて 業務の一つを受け持つ
学校に行って体育の時間に
走りたくも無いのに走らされる
学歴があることが
ステータス
お金があることが
セレブ
いつのまにかに レールにのっています
僕もそうです
いつのまにか 何かの役目 歯車として 行動しています
それは、意識して それは 無意識に
歯車であるということが
いいことだ! 悪いことだ! みたいなことを
書きたいのでは無く
歯車がなければ 大きな水車は動かない
大事なのは、歯車はひとつでは、意味が無いということで
歯車がひとつだけで、回っていても 空回りするだけで
ともに、回る歯車がないと動力が伝わらないわけで
ということは、水車もまわるはずもなく
ということは、空に風が吹かないのと同じ事で
心地よく感じることもないわけで
またまた、何が言いたかったのか分からなくなってきたわけで
かるく、アルツハイマー なわけで
それでも、言いたい事をちゃんと伝えたいと思うわけで
1日1日を大切にしたいと思うわけで
そんな中、社会という歯車のひとつであるという生活が
人それぞれにあるわけで
自分がどうあるか
自分がどうありたいかは
自分を見つめることでしか
分からないわけで
それが、日々の生活の中にあるか ないか
では おのれの人生が豊かであると
言えないのではと思うわけで
つまり、人が人らしくあるためには
歯車であることを理解する
ことから、始まるのでは?
と思う・・・。
のさ!
そうそう!
今日は、書きながら考えて見ました!
意味不明だったら ごめんなさい
たまには!いいかも!
というわけで 自分を自分なりに見つめて見ました!
それでは また!
自分を見つめるいい時間! おすすめします!
ブルースビーチ