見るということ。見えるということ。
崖の先っちょに行けば、頬に感じ、髪をなびかせる。
身にしみる寒い冬に、落ち葉を撒き散らし、
小春日和の春には、桜を舞いちらせ。
暑い日ざしの中、船で大海原にでれば、体全体で感じる。
風。
風は目に見えない、しかしそこに、「ある」ということが分かる。
正確には、肌、皮膚を通して伝わるというのが正しいのかな。
音を聞くという行為もそうだ。
この物理的伝達は視覚認識をある意味、否定する定義ともいえる。
と、同時に見えるということは、
伝わる。
ということでもあると言える。
私たちが、普段行う、見る、という動作は
つまりのところ、光が脳に伝わる。ということだ。
どちらも、伝わる、感じる。という行為で、共通する認識。
例えば、
人の気持ち。人の意志。人の思い。
人は人を、見ていても、
それらを感じれていなければ見れていない。見ていない、見えない。に等しい。
と、思い感じる今日この頃。僕の前には、風がある。
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