2005年08月04日
見るということ。見えるということ。
目に見えないものを、感じることがありますか?
崖の先っちょに行けば、頬に感じ、髪をなびかせる。
身にしみる寒い冬に、落ち葉を撒き散らし、
小春日和の春には、桜を舞いちらせ。
暑い日ざしの中、船で大海原にでれば、体全体で感じる。
風。
風は目に見えない、しかしそこに、「ある」ということが分かる。
正確には、肌、皮膚を通して伝わるというのが正しいのかな。
音を聞くという行為もそうだ。
この物理的伝達は視覚認識をある意味、否定する定義ともいえる。
と、同時に見えるということは、
伝わる。
ということでもあると言える。
私たちが、普段行う、見る、という動作は
つまりのところ、光が脳に伝わる。ということだ。
どちらも、伝わる、感じる。という行為で、共通する認識。
例えば、
人の気持ち。人の意志。人の思い。
人は人を、見ていても、
それらを感じれていなければ見れていない。見ていない、見えない。に等しい。
と、思い感じる今日この頃。僕の前には、風がある。
身にしみる寒い冬に、落ち葉を撒き散らし、
小春日和の春には、桜を舞いちらせ。
暑い日ざしの中、船で大海原にでれば、体全体で感じる。
風。
風は目に見えない、しかしそこに、「ある」ということが分かる。
正確には、肌、皮膚を通して伝わるというのが正しいのかな。
音を聞くという行為もそうだ。
この物理的伝達は視覚認識をある意味、否定する定義ともいえる。
と、同時に見えるということは、
伝わる。
ということでもあると言える。
私たちが、普段行う、見る、という動作は
つまりのところ、光が脳に伝わる。ということだ。
どちらも、伝わる、感じる。という行為で、共通する認識。
例えば、
人の気持ち。人の意志。人の思い。
人は人を、見ていても、
それらを感じれていなければ見れていない。見ていない、見えない。に等しい。
と、思い感じる今日この頃。僕の前には、風がある。
Posted by ブルース ビーチ at 17:15│Comments(0)
│と思いました。
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